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バイロンケイティ ワークの練習 ワン・フォー・ワン

8/21/2016

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 バイロンケイティの「ワーク」の公認ファシリテーターになるコースに入ると、ワン・フォー・ワンというと練習をする。どんな練習かというと、まあ、簡単に言えばスカイプで世界各国にいるワークの公認ファシリテーター、または公認ファシリテーターになるコースに入った人が、ジャッジメント・ワークシートをお互いにファシリテートしあう。1か月のうちの合計8回、計8時間練習するのだが、自分のファシリテートを録音したテープを聞いたり、自己評価をレポートしたりする時間もあるので、実際はもっと長くなる。これを最低21回しないといけない。結構なコミットメントである(これはコースの一部に過ぎない)。しかも、最後の2回は、お互いをジャッジしあう。つまり、相手が自分をジャッジしたジャッジメント・ワークシートをファシリテートする。実は、はじめこれが怖くて、なかなか公認ファシリテーターになるコースを始められなかった。
 
 でもやってみると、確かにいつも怖いなと思うし、相手がどんなことをジャッジしてくるのだろうと、ドキドキしたり、一度か二度「何もジャッジすることはない」と言われ逆に「なめとんのか」と頭に来たり、がっかりしたりしたこともあった。
 
 でも、実際は、何とも言い難い親密さを感じ、相手がいつも愛おしくなる。たとえ腹が立ったとしても、ちょっと傷ついたなと思っても。とても言いにくそうにジャッジしてくれたり、また、私が、これは痛いと思うことをあえて言ってくれたり、私の何気ない一言にイライラしたことを告白してくれたり。そんなことをされて、胸はキューンとするし、手は汗ばんでくるし、ちょっと居心地が悪い。「ああ、それは本当だな」とか「痛いスポットをついてくれるねえ」とか、「ええっ、そんなことを思っていたの、すごーい」と感心することも。そして、相手がさかさまに置き換えをしていて、なかなか例が見つけらえなかったりすると、とても可愛く思えてくる。また、すらすら例を言えたりすると、なんて素晴らしいのだろうと思う。そして、最終的には、なんだか愛を告白されたのと同じような感覚がわいてくるのだ。きっと、そう感じるのは私だけではないはずだ。相手が男性、女性を問わず、ワン・フォー・ワンの後はいつも、ちょっとした情事の後のような、お互いの秘密を分け合ったような、そんな気分になるのだった。私ってちょっとヘンかしら?



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赦し(ゆるし)

8/10/2016

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 ビバリーのアートセッションの続きを書かないまま、また違うことを書こうとしている。すみません。許してください。とあやまったところで、今日は赦しについて書いてみようと思う。

 赦しは、奇跡のコースでは核を成す教えだし、自己啓発やスピリチュアルな関係の本にも、その重要性は指摘されている。しかし、私は結構長い間、 赦しといわれても、どこかピンと来なかった。それはなぜかといえば、赦しとは「人を赦してあげること」だと思っていたからだ。何か自分にひどいことをした人を、寛大な心で許してあげることが赦しだと思っていた。でも、赦そうと思って赦せるなら話は簡単だ。赦そうと思っても、赦せないものは赦せない。自分が 被害者だと思っているうちは。
 
 この間のタイガー・シングルトンのサットサンのときに誰かが「赦そうとするけど、どこかで相手を赦せない自分がいる」というようなことを質問した。細かいことは省くが、タイガーが言ったのは「赦しとは、誰かを赦すのではなく、自分を赦すことで、それ以外にはない」と言ったのが印象的だった。「誰かをゆがんだ見方でジャッジした自分を赦す」ことだと。ああ、これ本当に的を得ているなと思う。すごいな、タイガー!

 赦しは、自分を檻に入れていたのは、自分自身だと気がついたときに起こる。そこに消費されている膨大なエネルギーの何と無駄なこと!人のせいにすることで、どれだけ自分の力を明け渡していたのか気が付いたときに起こる。自分で自分を苦しめていたなんて、ごめんね、自分。かわいそうだったね。そう思うと愛しくなる。自分が愛しくなると、相手も愛しくなる。これは本当だ。

 イエスは「汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ」と言った。自分を愛するようにというのがミソだ。そこに基本がある。スタンダードが低ければ、隣人もその程度にしか愛せない。だからこそ、自己愛が大切なのだ。そして自分を赦せば自然に人も赦さないわけにわいかなくなる。それが自然な展開なのだ。

 その昔、ああ、この人はひどい、大嫌いだ、だって私を傷つけたと思っていた人に最近、正直に、いとおしさを感じたとき、ああ、赦しってこんなかんじだなと思ったな。ごめんね、ありがとう、愛しています。そんな言葉が自然にわいてくる。別にホ・オポノポノを知らなくたって。そしてそれは、ただやって来る。美しい一通の手紙のように。

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