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人生を抱きしめよう。

7/26/2016

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 一応このセッションを始めるとき、ビバリーに テーマは、embracing Lifeだとか何とか言っていた。それは、人生がくれる贈り物を認め、受け入れることだ。ただ日本語に訳すと「人生を(積極的に)受け入れる」となるが、 受け入れるというとどうしても受け身の印象がある。embrace はまさに抱擁、抱きしめるといういう意味もあり、人生を積極的に抱きしめるという感じだ。
 
 イスラム神秘主義の詩人ルーミーの詩にゲストハウスというのがあるが、それに近い。ゲストハウスは、それぞれの感情を笑いながら歓迎しようという一文がある。この一文はフィンドホーンでも事あるごとに読まれていた。少し前の溝口あやかさんのブログに訳してあったのでリンクを張った。(赤い字はちなみにリンクです)。
  
暗い気持ちやごまかし、ときには悪意がやって来ても
扉の所で笑いながら出迎え、中へと招き入れなさい。

 という一説がある。そう、笑いながらと言うのがミソだ。笑える、というのは、その感情と同一化していないか、少しでも距離があるからできることだ。そして、楽しむ余裕がほんの少しでもあるかだ。バイロンケイティのワークの ワークシートの最後に、二度と経験したくないことを書くコーナーがある。「私は二度と~を体験したくない」、それを「私は~を体験してもかまいません、私 は~を体験することを楽しみにしています」と置きかえるのに似ている感じ。ワークシートを書き終えてもう一度それが起きた時の自分の反応を、少しでも客観 視できたり、少しでも笑える余裕ができたら、柔らかくなった感じがする。
 
 ワンネスの場所にいると確かに安らかだし、すべては大丈夫だ し、問題はない。でも事あるごとに人生は色々な技で「私でないもの」のふるい落としかかってくる。そんなときは、後ろへどんどん下がって、一度引きはなし たら、今度はどんどん前へ出て行って「私であるもの」を楽しみたい。何か反応が起きたら、興味を持ってみてみたい。なんとなく時代はまたどんどん前へ、世 の中へ、人生とつながろうと言ってる気がする。ここ2.3年位ずっとそのメッセージを聞き続けている。なんとなくまたつながり方を学んでいる。今までとは 違う方法で。

私はすべてに出会いたい、そして、抱きしめたい。笑いとともに。






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アートセッション その2

7/20/2016

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 そして、突然考えが浮かんできた。
「確かにたんぽぽはいいよね、でもバラはどうだろう?」
 私はバラも大好きだが、なんていうか、「私はバラの人ではない」という考えが浮かんだ。私がフェインドホーンのガーデンで働いていた時も、野菜とかハーブ系の花の方が好きだった。カレンデュラとかマメ科の花、野ばらもすきだけれど、ここでいうバラは、名前がいろいろついていて、品評会に出ているようなバラのことだ。虫も付きやすいし、病気になりやすいし、いろいろ肥料を変えたり、世話に手間がかかりそう。みんなお金を出して買う花。しかも、棘がついていて、触れると痛い。やはりバラは花の中の女王というかんじだ。こんなこと書くと照れるけれど、つまり、庭は「たんぽぽにはなれるけど、じゃあ、女王様はいかが?何か抵抗あるかしら?」と言うようなこと語りかけている気がした。
 昼になり、午後はそちらを少しみてみることになった。
 晴れた夏の日のフィンドホーン村は本当に美しい。ゆっくりとベイクハウスにお昼を食べに向かうと、ほとんど夏休みを楽しむカップルや家族連れの見知らぬ顔が多かった。ベバリーが「なんか文章を書いてみるといいかもよ」というので、ただ、浮かんだことを素直に書いてみた。
 
木は日陰と食べ物をくれる。
太陽は私を祝福してくれる。
たんぽぽは美しさを、
ブラックバードは愛を見せてくれる。

庭は奇跡。

すべては今ここで起こっている、そして同時に、永遠なのだ。

(つづく)

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誕生日のアートセッション

7/16/2016

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7月某日は誕生日だった。やっぱり、フィンドホーンで迎えるのはいいものだ。
 
 誕生日というのはちょっと厄介だと思う。一応お祝いすることになっているが、するのはめんどくさいと思うのは私だけではないはずだ。ただ何もしないと寂しい気もするので、たいてい食事に行ったりする。私はコミュニティであまり大きなパーティは開いたことはない。旅行に行ったり、ワークショップやリトリートの最中ということもよくあった。誰を呼ぶとか、考えたりするのもちょっとおっくう。それを楽しめるときもあるけどね。ただ、なんとなくそわそわする。だからやっぱり何かしようと思った。

 今年は何をしよう? 食事に行ったりするのはなんか違うな、パーティーって感じでもないなとふと思ったのが「絵が描きたい」だった。タイガー・シングルトンに一緒に行ったKはアートセラピストでもあるので、彼女に頼もうと思ったら、その日は出かけるという。そこで、Beverley (べバリー)に頼んでみると、ぜひやりましょう!とのこと。彼女のセッションは10年以上前に、フィンドホーン財団の今はなき「ファウンデーション・プログラム」の中で受けたことがあるが、そのとき1回きりだった。まる一日やりましょうという話になり、10時にフィンドホーン村にある彼女の自宅兼アトリエへ。茶色のコテージで、ピンクの野ばら垣根が彼女のうちだ。垣根を入ると芝生が広がる結構広い庭が見えた。
 
 ベバリーは「私のインストラクションに従うのではなく、一緒に作っていくから、何でも言ってね」とのこと。短い瞑想のなかで、何がしたいか、起こるべきかチェックすると「動きたい」だった。大きな紙に絵を描きたい。でも、別に何っていうわけじゃなく、ただ、身体から出る動きに合わせて描いてみたかった。はじめは、オイルパステルを両手に持って、両方一緒に動かしていく、背伸びしたり、スクワットみたいに腰をかがめたり。ただ、呼吸を感じて、自然に体が上下に、左右に動いていった。あまり、重ねたくはなく、透明な空間を感じたかった。
  
 途中でどうすればいいかわからなくなった。するとべバリーは「庭に出て何に心惹かれるか、何を語りかけてくるかみてみましょう」というので、はだしでそのままゆっくりと庭に出て行った。日の光をあびてきらきら光る草、温かい芝生の感触、赤ちゃんを連れていてちょっと警戒してなくカモメたち。小さく堅そうなリンゴの果実、さわさわと髪の毛のようにゆれる白樺の枝葉。ブラックバードのつがいがお互いに距離を取りながらも一緒にエサを探している。そこで私の心に語りかけてきたのは、タンポポだった。タンポポは黄色い可憐な花だし、葉だって食べられるが、雑草として引き抜かれたりする。それでもまた咲ける場所を見つけてもどって来る。別に刈られたからって怒るわけでもなく、また咲く場所をみつけてたくましく咲く。その普通の強さと美しさになんだか心を打たれた。ベバリーにシェアをし、そしてまた戻って絵を描いた。ベバリーは、こんな感じで自然をインスピレーションに使う。体の動きにフォーカスし、自然に耳を傾ける。そしてまた続ける。何かを表現してやろうとか、何かを描いてやろうとか、意図をもって描くのとは全く違う。ただ、何が現れてくるか待つという感じだ。(つづく)

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タイガー・シングルトンの巻

7/13/2016

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 住むところもなくなり(なんていうと本当にホームレスみたい)、今またフィンドホーンのフィールド・オブ・ドリームスの友達の家に居候している。やはり1週間くらいたたないと地に足の着いた感じはしない。だから、日本からExperience week(体験週間)に来るような人たちはやはり大変だなあと思う。慣れたと思ったら帰らなくてはいけない。日本は国民の休日が多いので、実質的に休みは少なくないのだが、やはりまとめて休みが取れた方がいいなと私は思う。せっかく遠くまで来たのだから、ゆっくりできたらいいのにねと。1週間の体験週間のために「会社をやめてきました」と言う人は少なくなかったように思う。
 
 さて、ザ・ワークのファシリテーターでもあるKに「いつ会える?」と連絡すると「あしたはTiger Singleton(タイガー・シングルトン)のサットサンがあるので行く?」というので、何の予備知識もなく翌朝、彼女の車に飛び乗りニューボルド・ハウスへ。タイガー・シングルトンなんて聞いたことがないと思いながら。聞いたことがないと言っても、この3年ばかりはほとんど新しい非二元の話し手を発掘する気もなく、本を読む気もなく、情報集めをする気にもならなかったから知るよしもなかったが。

 部屋にはざっと10人くらいの少人数。その半分はお馴染みの人たち。特に期待するわけでもなく座っていたが、彼の話にハートがどんどん開いていくのがわかる。共鳴が起こっている。体が自然にリラックスし、ほどける。ただ、涙があふれてくる。記憶力が極端に悪くなっている私だが、印象に残っていることがある。

 誰かが自由意志について質問をした。その人はなぜかいつもいろいろな先生に自由意志について聞くのだ。私は、個人があれば自由意志はあるし、それを超越すれば自由意志はないと解釈していた。(ああ、言葉って本当に二元的だ。片方を採用するともう一方を拒絶する)。つまり、自由意志とは選択についてだ。

 コースインミラクルでお馴染みの「愛を選ぶか、恐れを選ぶか」というのは、私にとってはあまりしっくりこなかった。誰が選ぶんだろう?と言う問いが頭から離れなかったから。でも、タイガーの答えを聞いて、何だかストンと腑に落ちた。「Free will is where you put the attentionー自由意志とは、どこに注意を向けるかだ」。同じ状況をどう見るかともいえる。不足を見るのか、今あるもに感謝するのか。不足(または不満)に注目すれば恐れにつながり、今あるものに感謝し、あるがままの素晴らしさ、美しさ、完璧さを見ること、それはすなわち愛である。

 タイガーとの6時間はあっという間にすぎた。ありがとう、タイガー。今でもハートは開いているよ。このあとはスウェーデンに行くらしい。ハワイでのリトリートもあるらしい。

https://tigmonk.com/



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